企業や自治体に求められる災害リスクマネジメント

-東日本大震災から11年-被災地の復興から考える、創造的で持続可能な社会へ

小野田 泰明様(東北大学大学院 工学研究科 都市・建築学専攻・教授 東北大学災害科学国際研究所・教授(兼担))

東日本大震災から2024年3月11日で13年を迎えます。東日本大震災では、地震や津波により、市庁舎や商業施設、駅舎、音楽ホール、体育館などさまざまな場所で建物の損壊や天井落下などの被害が発生しました。

その後、復興庁令和3年1月の資料によれば、被災地の住宅再建は着実に進み整備が概ね完了されているそうです。(復興庁:復興の現状と課題(令和3年1月))
しかし、被災地以外にお住まいの方は、復興にむけた取り組みについて耳にすることは少ないのではないでしょうか。

今回は復興の実態やそこで見えてきた社会課題について、東日本大震災で被災した釜石市や石巻市をはじめとする多くの自治体で住民や行政スタッフとともに復興の作業に関われた東北大学大学院小野田泰明教授にお話を伺いました。

 

復興プロジェクトの実際と成果、そして復興プロジェクトで見えてきた社会的課題について

二種類の津波への対応と対策の間で

東日本大震災は、地震に加え、その後の津波が大きな被害をもたらした特徴的な災害です。
発災後に召集された国の中央防災会議では、今回の津波を含むめったに起こらないが発生すると甚大な被害をもたらす特殊な津波を“L2津波”、明治以降何回か三陸を襲ってきたレベルのものを“L1津波”として区分し、それぞれに対応を決めました。

四百年から千数百年に一回の発生確率とされる“L2津波”は避難中心、数十年から百数十年の想定発生確率の“L1津波”は防災施設の建設や土地利用の改変などで対応します。

各県がそこで想定される津波の高さをコンピューターシミュレーションを基に設定し、各市町村が復興計画や土地利用計画を被災者・関係者・専門家の意見を聞きながら決定・実装する枠組みが定められました。防災の科学と民意を尊重したそれなりに適切な対応であったかと思います。

しかしながら、「四百年に一回と言われても、3月11日に実際に来た。想定外は想定内にすべき」という声が強く、L1津波に対応した新設の防潮堤を超えて来るL2津波にも対策を施すことになりました。巨大な防潮堤の内側でありながら、大規模なかさ上げや広大な非可住地域設定が行われたのはこのためです(図1)。

各地域で議論した結果であると思いますが、リスクを出来るだけゼロにと力が入りすぎたあまり、過剰な復興となった部分は否めません。

図1 東日本大震災の復興の仕組み(作成:加藤耕一+小野田泰明、東北大学建築空間学研究室)


マルチステークホルダー参画による復興への取り組み

交通事故が怖いからと装甲車で移動する人が居ないように、我々は日常的にリスクを精査し、折り合いをつけながら生活を送っています。過剰な要求が結局自分に返ってくることを良く知っています。それでは、どうしてこうしたことが起こるのでしょうか。
あくまで私見ですが、安全に対する判断と責任が、一方的に自治体にあるという体制を作っているからともいえるかもしれません。

私たちの調査では、今回の東日本大震災の復興での政府の役割は非常に重いものがありました。単純なハードを作るだけならそれでいいのですが、複雑なものを再生し、それを生き生きと運営していくには、民間や市民を含んだ複雑な仕組みが必要です。今回の復興でも民間の人たちがリスクを取って積極的に復興に参加した地域では、良い結果が出ているようです。
こうしたマルチステークホルダーと呼ばれる多様な関係者が復興に実装者として関わるスタイルは、海外では大きな広がりを見せています。

美味しいワインが複雑な味の構成を持っているように、私たちの環境の豊かさも奥の深い構造さに起因することは良くあります。さらに長い時間を生きる建築は、変化に対応できる冗長性を備えていなければなりません。
今回の復興でも、新しい環境を作るため、土地利用・土木・建築・産業・生活といった要素を組み合わせ、その運営者を含んで深い議論が期待されましたが、限られた時間でそれを成し遂げるのは中々困難でした(図2)。

図2 釜石市東部地区の復興計画図(住民説明用)(作成:釜石市、尾形魁+小野田泰明:東北大学建築空間学研究室)

それでも、復興に際して優れたデザイナーの参画に労を惜しまなかった宮城県女川町や同気仙沼市内湾、岩手県釜石市(図3)のようなところで、踏み込んだ復興が出来ているのは、そういうことが関係しているようです。

図3 釜石市鵜住居地区の復興(撮影:釜石市)


災害に強い街にするために、建築と地域に求められる連携のあり方

日本は、過去の地震の被害を研究して、その対策を制度に積極的に採り入れている国です。建物の耐震基準は、1981年、2000年に大きく見直され、大きな地震にも対応して人的被害を少なくすることが目指されています。これらの努力で、単体の耐震力は向上していますが生き延びた単体が、空間と時間の両方の広がりの中で連携を再び確保し、いち早く日常を獲得することが重要です。

 

“災害に強い街”とはどういったことなのでしょうか。
また、どうしたら実現できるのでしょうか。

そのまちづくりにおいて、建築・建物が担う役割、そして私たち一人ひとりがどのように「災害」「まち」「建物」を捉えることができるのでしょうか。
被災地復興に関わられた小野田泰明教授に伺いましたのでぜひご覧ください。

▼災害に強いまちづくりに欠かせない建物の安全性確保と地域連携
【コラム】災害に強いまちづくりとは?求められる建築と地域の連携(小野田泰明教授)

 

※本記事では、防災・地震対策に関する一般的な情報を届けることを目的としており、営業を支援する目的のものではございません。

KIRIIの復興支援への取り組み

≪東日本大震災被災地支援「みんなの遊び場プロジェクトin南相馬 2014〜2016」に協賛≫

2016年にオープンした福島県南相馬市「みんなの遊び場」は、東日本大震災以降、思うように屋外で遊ぶことができない子どもたちが安心して楽しむことができる、室内砂場を中心とした遊び場です。南相馬の新しいシンボルとして位置付け南相馬市が運営する施設です。
KIRIIは、フロア事業部のメンバーがプロジェクトに参画し、鋼製床下地材のGTフロアーをご活用いただきました。

詳細は、フロアカタログをご覧ください。

みんなの遊び場(福島県南相馬市)(撮影:(株)桐井製作所)

≪KIRII耐震天井の導入事例に陸前高田市庁舎を掲載≫

東日本大震災によって全壊被害を受けた陸前高田市庁舎。
震災から10年という節目の年である2021年に再建整備され新庁舎として生まれ変わり、議場には天井落下から被害を防ぐKIRII耐震天井を採用いただきました。
陸前高田市庁舎の担当職員の方に伺った天井の地震対策を実施したきっかけと共に、現場写真や改修のポイント等を公開しています。

詳細は、導入事例をご覧ください。

リンクはすべて桐井製作所の企業サイトへリンクします

 

今回は復興をテーマに地震に強い街づくりの重要性をお伝えいたしました。
復興まちづくりの活性化に寄与できましたら幸いです。

2024.03.01