災害カレンダー(10月〜12月)

地震はいつ、どこで、どんな状況の時に起こるかわかりません。
この災害カレンダーを通して、地震災害の脅威、そして私たちの大切なものを守るための対策を見つめ直すきっかけにしていただけたらと思います。

みなさん五重の塔ってなんであんなに地震に強いか知っていますか?150年以上前の安政江戸地震でも、浅草寺五重塔は倒壊しませんでした。
それは「柔構造」であるからと言われています。通し柱がなく、各層ごとに積み木のように重なっています。そうすることで、揺れが起こった時にグネグネとうねって揺れを吸収し、自力で復元する力をもっているんだとか。※諸説ありです!!

災害カレンダー(10月〜12月)

10月

鳥取県西部地震

2000年10月6日 13時30分頃

マグニチュード7.3
最大震度6強

被害の特徴

発生時刻が昼食後であったことや、震源地付近の地域に住宅が密集していなかったこと、また地盤が比較的良かったことなどから、この規模の地震にしては火災が少なく死者も出なかった。
しかし家屋の倒壊や、山間部での斜面崩壊が相次いだほか、液状化やマンホールの抜きあがり等ライフラインに影響を及ぼす被害が発生した。

新潟県中越地震

2004年10月23日 17時56分頃

マグニチュード6.8
最大震度7

被害の特徴

強い揺れに見舞われた小千谷市、十日町市、長岡市、見附市を中心に、全体で68人が死亡。
このうち、建物の倒壊などによる直接的な死者は16人で、他の52人は避難中や避難所でのストレス死やエコノミークラス症候群によるものだった。
本震のあとも40分以内に震度6強の余震が発生し、その後も震度5規模の余震が相次いで発生するなど、二次災害の危険性も高く、避難者の数は最大で約10万人におよんだ。家屋の全半壊1万7,000棟にもおよぶ。
山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が約6,000か所で分断。山間部での地滑りもみられた。
その他市役所や公共体育館で天井が落下する事例も発生した。

出展:長岡市「天上が落下した室内」

鳥取県中部地震

2016年10月21日 14時7分頃

マグニチュード6.6
最大震度6弱

被害の特徴

この地震による人的被害は重傷8人、軽傷17人。死者や火災はゼロだったが、住宅の全壊・半壊・一部損壊などの被害は約1万5千棟であった。
特に鳥取県を中心に、住宅の屋根瓦や外壁が崩壊する被害が多数発生した。

11月

安政江戸地震

1855.11.11(安政2年10月2日)

推定マグニチュード6.9-7.4
推定震度6以上

被害の特徴

「安政の大地震」ともいわれる。
江戸時代後期に日本で地震が連発したことから、前年に発生した安政東海地震と安政南海地震と合わせて「安政三大地震」と呼ばれる。
南関東直下地震で、江戸付近で最も大きな揺れを観測したが、大阪府や福井県でも震度4~5の揺れが見られ、被害が広範囲に及ぶことが特徴である。推定死者数1万人前後。
埋立地であった大手町周辺や浅草など地盤が弱い土地での建物倒壊が目立った。

出典:安政の大地震大火絵図
(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)

北伊豆地震

1930年11月26日 午前4時2分頃

マグニチュード7.3
最大震度6

被害の特徴

272人が死亡、家屋全壊は2,165棟にのぼる。
震源の深さが5㎞未満と浅かったため、震度7相当の揺れがあったともいわれている。
この地震は丹那断層を主とする活断層が地震断層として活動したもので、建設中だった丹那トンネルで2.7メートルの横ずれがみつかったことなどから、断層運動が大きく注目された。
また大きな特徴の一つに前震活動が顕著だったことがあげられる。この年の2月〜5月頃まで伊東市沖で群発地震が発生しており、11月に入ると本震前日の25日までに2200回を超える地震を記録した。
本震前日の25日にはマグニチュード5.1の前震が発生している。
函南町を中心とした静岡県東部・伊豆地方は被害が大きく、建物の倒壊や、鉄道、橋梁、堤防などにも被害が出た。

長野県神城断層地震

2014年11月22日

マグニチュード6.7
最大震度6弱

被害の特徴

日本の長野県北部、北安曇郡白馬村を震源として発生した地震。
全壊77棟、半壊136棟、一部損壊1624棟。特に白馬村での建物被害が目立ち、20人以上が家屋の下敷きになる事態が発生したが、近隣住民の協力もあり全員が救出された。
地震による人的被害は村全体で死者0人だっただめ、「白馬の奇跡」ともいわれている。

12月

安政東海地震

1854.12.23(安政元年11月4日)

推定マグニチュード8.4-8.6程度

被害の特徴

南海トラフ沿いの東海道沖が震源域で、南海トラフ巨大地震の一つとされる。
被害は関東地方から近畿地方にまでおよぶ。
三重県では最大20mにもなる大津波が襲来し甚大な被害をもたらした。

安政南海地震

1854.12.23(安政元年11月5日)

推定マグニチュード8.4-8.7程度

被害の特徴

南海トラフ巨大地震の一つとされ、被害は中部から九州地方にまでおよぶが、32時間前に発生した安政東海地震との区別が難しいものも多い。
また、この地震は、昭和22年まで国語教材として使われていた「稲むらの火」という逸話のもとにもなった。
「稲むらの火」は、津波の襲来を知らせるため、稲に火をつけて村人を救った実話をもとに小泉八雲が書いたもので、これにちなみ11月5日は「津波防災の日」と定められた。

昭和東南海地震

1944年12月7日 13時35分頃

マグニチュード7.9
最大震度6

被害の特徴

死者・行方不明者は1,223人、負傷者は2,864人とされているが、太平洋戦争中だったこともあり、正確な実数は把握できていない。
駿河トラフと南海トラフ沿いを震源域とする地震で、震度6弱相当の揺れを観測した範囲は、三重県から静岡県の御前崎までおよぶと言われている。
最大8mの津波が襲来し、被災家屋は95,000棟以上。

昭和南海地震

1946年12月21日 午前4時19分頃

マグニチュード8.0
最大震度5程度

被害の特徴

死者・行方不明者は1400人以上とされているが、戦後直後で被害の実態には不明な部分が多い。
地震発生から約30分後には4~6mの津波が沿岸の街を襲い、その範囲は房総半島から九州南部にまで及んだ。
また家屋やビルの倒壊、地盤沈下による浸水、揺れによる橋の落下や堤防の決壊もみられた。
甚大な被害を及ぼした昭和南海地震だが、被災地の中には、戦後の復旧復興すら全く進んでいない地域もあったため、どこからどこまでが地震による被害なのか分からないケースも多かった。

出典:徳島地方気象台ホームページ

千葉県東方沖地震

1987年12月17日 午前11時8分頃

マグニチュード6.7
最大震度5

被害の特徴

関東地方の広い範囲で被害が生じ、千葉港、東京湾の埋立地等において液状化がみられた。
震度5とされているが、震源に近い九十九里浜付近では、現在の震度階級で震度6弱以上の揺れが起こった可能性があるといわれている。
死者2人、負傷者144人、被災家屋は60,000棟に及ぶ。

三陸はるか沖地震

1994年12月28日 21時19分頃

マグニチュード7.5
最大震度6

被害の特徴

家屋倒壊、家具の倒壊によるガラス破損、シャンデリアなどの落下がみられた。
八戸市を中心に死者3人・負傷者788人の被害が出た。
断水や停電、ガスの供給停止などライフラインへの影響も大きかった。

参考資料

・内閣府「報告書(1855 安政江戸地震)」
・ 中村操,茅野一郎, 唐鎌郁夫(2002).「安政江戸地震(1855/11/11)の江戸市中の被害 」『歴史地震』 ,18, 77-96. ・内閣府「200004:2000年(平成12年) 鳥取県西部地震」
・国土交通省「新潟中越地震」
・鳥取県庁ホームページ「鳥取県中部地震から1年 「復興」そして「福興」へ」
・内閣府「報告書(1854 安政東海地震・安政南海地震)」
・防災システム研究所「稲むらの火」
・内閣府「特集 津波防災の日」
・内閣府「報告書(1944東南海地震 1945三河地震)」
・高知県庁ホームページ「昭和南海地震」
・国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所 港湾空港技術研究所「昭和62年12月17日千葉県東方沖地震の港湾地域に   おける強震記録」
・機能ガラス普及推進協議会「過去の地震とガラス破損事故」